いわゆる慰安婦像は日本人が優秀と認めている象徴

私はニーチェの「強者と弱者」という思想が大好きです。その思想とは「強者」は創造力を持ち、行動的で積極的に物事を作り出して生を楽しむことを知っている人間のことです。一方で「弱者」はその逆で自分に価値を見出せずことができず、そのため自分の価値評価は屈折したものとなります(詳しくは私が書いた歌うニーチェ、稲葉浩志という記事を参照して下さい)。

その「弱者」は「強者」が悪だと言う思考回路から、「弱者」の「善=よい」は反動的、否定的評価になります。

「ルサンチマン」とは

「弱者」は劣等感を抱いて、その劣等感を抱かせた原因となるものを否定します。つまり「弱者」の価値評価は「強者」の否定から始まるのです。その「弱者」の反動的・否定的な価値評価から現れたものがキリスト教だと言っています。ユダヤ人はローマに支配されていて、そこで、強いローマ人は「悪い」、だから「弱い」われわれが「善=よい」という「恨み、反感」に基づいた価値評価がキリスト教の土台になっているとニーチェは言っています。この「恨み、反感」をルサンチマンと言います。

「恨(ハン・한)」とは

朝鮮半島の文化、つまりいわゆる北朝鮮と韓国の文化にも似たような思考形式があります。それを「恨(ハン・한)」と言います。これは字の通り「恨み」を根幹とした思考形式で、wikipediaでは感情的なしこりや、痛恨、悲哀、無常観をさす朝鮮語(ハングル)の概念であると書かれています。また歴史学者古田博司は朝鮮文化における恨を「伝統規範からみて責任を他者に押し付けられない状況のもとで、階層型秩序で下位に置かれた不満の累積とその解消願望」と説明している、とも書かれています。つまり自分が劣等な地位(下位)にあるから劣等感を持ち、上位のものに対して「恨み」を持つということです。

「ルサンチマン」と「恨(ハン・한)」と「コンプレックス」

「ルサンチマン」と「恨」については上述しました。コンプレックスとは日本語にほぼなっていて「劣等感」と言う意味で使われることが多いです。正式には誤用ですが(詳述は省きます)、現在の日本語で使われているという観点からコンプレックスを劣等感という意味にここではしておきます。

この3つの概念に共通しているのは「他者と比べて自己が劣っていると価値評価し他者に劣等感を抱く」という点だと思います。

「ルサンチマン」と「恨(ハン・한)」を持つ民族はその民族を劣悪だと認めている

劣等感を抱いてそれを改善しようと努力するタイプの人々はそれはそれで素晴らしいと思います。その点でコンプレックスを抱いても改善すればいいのです。しかしながら「ルサンチマン」と「恨」は上述したとおり劣等感を抱くだけではありません。その劣等感を抱かせる契機となった他者(強者・上位の者)に対して「恨み・反感」を抱きます。つまり、逆を言えば「恨み・反感」を抱くということは他者が自分より強者や上位の者であるということを認めていることとなります。

ルサンチマンの項で書いたとおりユダヤ人はローマ人の方が優れていると認めていたということになります。すなわち「ローマ人=優秀」「ユダヤ人=劣悪」だと認めているのです。

ただしユダヤ人自身は「善=良い」はユダヤ人だと考えています。果たして「劣っている」ことは「良い」ことなのでしょうか。もちろん「劣っている」から「悪い」にはなりません。しかし「劣っている」ことそれ自体が「良い」ことになるとは思えません。まぁ、これは価値評価の問題なのであなたがもしキリスト教徒ならば「劣っていることは良いこと」と評価するかもしれません。

同じように「恨」の文化をもつ朝鮮半島人(北朝鮮人・韓国人)は日本人に支配されたという確固たる歴史があります。そこで現在でも日本人に対して「恨み・反感」を抱いていることが多いです。つまりその思考をするということは朝鮮半島人(北朝鮮人・韓国人)は日本人の方が優れていると認めているのです。ユダヤ人とローマ人の関係と同じく強い日本人は「悪い」、だから「弱い」韓国人(北朝鮮人)は「善=良い」と考えるのです。つまり「日本人=優秀」「朝鮮半島人=劣悪」だと認めているのです(ルサンチマンの項で書いたキリスト教が生まれた背景とよく似ていて、韓国にクリスチャンが多い(仏教徒よりも多く国民の30%と言われています)理由も少なからず分かる気がします)。

このようにルサンチマンと恨は西洋と東洋の生まれの違いはあれど思考様式は同じだと思われます。

いわゆる慰安婦像は日本人が優秀だと認めている象徴

いわゆる少女慰安婦像がルサンチマン・恨の象徴です。韓国人は日本人に支配された「恨み・反感」から虚構の歴史を作り出そうとし、国際法であるウィーン条約第22条2項違反(異論もあります)であるにもかかわらず、さらには日韓間のあらゆる条約や協定に違反しているにもかかわらず、「我々韓国人は善=良いのだ」と言ってる象徴なのです。つまり、「日本人は優秀だ」「韓国人は劣悪だ」と韓国人自ら認めている象徴なのではないでしょうか。私にはそう思えてなりません。

仮に万が一慰安婦像が撤去されたとしても、この「日本人=優秀」「韓国人=劣悪」という認識は揺らぎません。なぜなら朝鮮半島文化が近い将来変わるとは想定できないからです。韓流文化はその文化で世界を圧巻してやろうという韓国の国家戦略であり、その国家戦略を変えることはないと思えるからです。つまりその朝鮮半島文化が続く限り「恨(ハン・한)」も続くのです。よっていわゆる慰安婦像が撤去されても文化の思考形式である「恨(ハン・한)」が続く限り、「日本人=優秀」「韓国人=劣悪」という認識は揺らぎません。

あくまでも以上は私の見解です。論理の飛躍や間違っている箇所があればご指摘下さい。